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    町山智浩 映画 FC2 Blog Ranking

    『愛すれど心さびしく』(THE HEART IS A LONELY HUNTER) どんなに誠意を尽くしてもわかり合えない、人間の怖さ【2007年6月7日アメリカ映画特電第32回

     管理人のaCuriousManです。今回は、町山さんのトラウマ映画の1つ『愛すれど心さびしく』がTSUTAYAオンデマンド観ることができる、と、町山さんがツイートされてましたので、2007年の音声コラムを『まちおこし』してみました。ただ、ストーリーを若干説明しすぎている内容でしたので(当時、日本でこの作品を観ることは無理だろうと予想されていたためでしょう)、まだ本作を御覧になっていない方のために、一部内容を修正した記事も掲載しました。目次、あるいは本文中のリンクを辿ってみてください。ストーリー解説の部分以外は、作品の背景の興味深い解説がされてますので、これから本作を観ようと思ってる方もまず御覧になっていただけば、より深く映画本編が楽しめると思います。

     『町山智浩のアメリカ映画特電』に関しましては、『EnterJam』http://enterjam.com/のサイト上で、現在もポッドキャストを配信中ですので、以下ににリンクを貼っておきます。

    バックナンバー第1回~第67回 町山智浩のアメリカ特電
    第32回 2007/06/07upトラウマ映画館⑤ カーソン・マッカラーズの『愛すれど心さびしく』

    ~Setup~
    差別意識の捉え方、ボラットの場合

     2週間のご無沙汰でした。町山智浩です。今日もアメリカカリフォルニア州バークレーからお送りします。今日は恒例の『トラウマ映画館』。少年時代の僕の心にトラウマを残した映画を紹介したいんですけれども。今日は『愛すれど心さびしく』という映画です。タイトルがなんかやんなっちゃう感じなんですけども、原題は『THE HEART IS A LONELY HUNTER』、『心は孤独なハンター』っていうめちゃくちゃカッコイイタイトルなんですよ。

     えー、まず最初にですね、みなさんのお手紙がいっぱい溜まってるんで、どんどん読んでいきたいと思いますけど。

     まず最初はトマルさんからのお手紙ですね。これは『ボラット』(Borat)、ここでも紹介した『ボラット』の感想なんですけれども、ハイ。

    「・・・最後まで息をもつかせぬ、笑いの絨毯爆撃でした。ただ、翻訳の仕方で(字幕のことですね)、町山さんが話していた時よりも幾分か破壊力は和らいだ印象でした。例えば、ロデオ大会の演説でボラットが言った、
    『私はアメリカのウォー・オブ・テラー(war of terror)を応援します。』
    というセリフですね。」

     これはね、「ウォー・オン・テラー(war on terror)」だとね、「テロに対するアメリカの戦争」という意味になるんですけど、「ウォーオブテラー(war of terror)」だと「アメリカ自体がテロをしてる」と。テロ戦争を仕掛けてるのはアメリカだ。っていうことになっちゃうんですよ。で、これはボラットの大ボケでギャグなんですけれども。

    「そのウォー・オブ・テラーが『テロに関する戦争』と字幕では訳されていました。」

    ・・ってコレもう、完全にどうしようもない誤訳ですね。っていうかギャグを殺しちゃってますね。ハイ。

    「・・・英語を直に聞き取れないのは凄く損ですね。」

    っていう。・・・あとですね、

    「町山さんが懸念されていた、問題の、ボラットと太った相棒の格闘シーンは、残念と言うべきか、しっかり修正が施されていました。」

    あ、まあ、あれはねえ、ボラットの顔にですね、太った相棒のケツの穴とですね、キンタマの裏側を押し付けられる、っていうシーンがドアップになるんですね。だから、デカいスクリーンで観るとキンタマ1個が直径1メートルぐらいになっちゃうんですけども。これ、アメリカでも、よくこのまま(笑)、修正しないで公開したな、ってビックリしたんですけども。ま、日本ではまあ・・・ダメですよね、こういうものはね。

     

     でも、それを修正しないで見せたから、つって誰が困るのか?ねえ。太ったオッサンのキンタマの裏側を見て、誰が困るのか?社会になんの影響があるのか?・・・何も無いと思いますけど、見せちまえばいいと思うんですけどね、ハイ。

     あとですね、トマルさんのお手紙の続きですけども、

    「凶悪なボラットが唯一まともな人間に見えてしまう、ペンテコステ派の集会に戦慄を覚えました。」

    っていう、トマルさんのお手紙なんですけども、あれはまあ、ホントに凄いですよね。ペンテコステ派ってのはキリスト教の一派でですね、原理主義的な一派なんですけども、神様が乗り移ってですね、信者に神の言葉を喋らせる、って信じてる人達なんですね。

     でも、どういうのかって言うと、信者たちがですね、
    「オレロレロレロレロ※△?☆?!」
    とか言ってるだけなんですよ。それもねえ、ちゃんとネクタイを締めた紳士とかですね、ドレスを着た、お固い人達なのに、ま、普段は偉そうなことを言ってる人達なのにですね、その教会の中では
    「アベロレロデロレロレロ※△?☆?!」
    とか言ってるんですね。

     それでまあ、それが神様の言葉だ、って言ってるんですけども。そんなに、たかがそこら辺の信者がですね、簡単に神様を呼べるのか?!っていうねえ。それ、聖書に反してるぞ、というね。
    「神の言葉を預かってる」
    とか言ってる奴は皆インチキだ、って聖書にちゃんと書いてあるんでね。ま、そのペンテコステ派ではですね、
    「アビラレロデロラロ※△?☆?!」
    って言ってる紳士淑女の中で、ボラットが1番まともに見える、というですね、非常に凶悪なシーンですけれども、ハイ。

     で、このトマルさんの手紙に戻りますと、

    「・・・散々笑わせてもらいましたが、もしボラットが日本を取材したら、と考えると、とても笑えません。中国、韓国、北朝鮮、外国人労働者、創価学会・・あたりの問題を話題にすれば、荒れに荒れるでしょう。差別される側にも、こういうギャグを自虐的に笑い飛ばす寛容さがあるとは思えないし、私も、隣国の拉致や核兵器に戦慄しますが、ボラットに乗せられれば
    『あんな国、滅んでしまえ!』
    とか言ってしまうかもしれない。・・・私は、国や人種で人を差別したり嫌ったりしない、と信じていましたが、私の思わぬ本音が覗いてしまって、ちょっと動揺しました。」

    っていう、トマルさんのお手紙ですけども。ま、差別意識なんてものは誰にでもあるからしょうが無いんですけどね。だから、ま、そういうのを無くそう、っていうよりは、もう全部片っ端から笑い飛ばす、っていうね。全部逆にする、っていうのが1番正しいと思うんですけども。

     この、メールをくれたトマルさんにはですね、読ませていただいたトマルさんには、著書を何かお送りしたいんですが、別に、何が欲しい、って書いてないようですので、もし、欲しかったら、何が欲しい、って連絡してください。ありがとうございました。

     その他ですね、「風速37メートル」っていうペンネームの方から。あとですね、西岡わかばちゃんと、高田まゆみちゃん、渡辺みなつちゃん、他にももらってますが、ちょっと(笑)、そんなところで、ハイ。ありがとうございました。

     えーと、次回からお題を決めていこうかと思うんですけれども。「私のトラウマ映画」ってことで、いつもこのポッドキャストで、僕が子供の頃に偶然観て、今もトラウマになってその後の人生に影響を与えた映画を紹介してってるんですけども。これちょっと、皆さんにもですね、トラウマ映画を、ちょっと書いて欲しいな、と思うんですけども。

     

     単にその、なんていうか、
    「気持ち悪かった」
    とか言うだけだとすごく、話が短く落っこちてしまいますんで、もうちょっと面白くですね、書いていただけるといいな、と思いますが。いいトラウマ映画について書いてきてくれた人には、『トランスフォーマー』(Transformers)のジャンケットでもらったですね、『トランスフォーマー・バッグ』っていうのをあげます、ハイ。『トランスフォーマー』の、サイバトロンのマークがついてます(笑)、ハイ。

    ~Conflict~
    アメリカ南部の田舎町を舞台に次々と起こる不幸を描くトラウマ映画

    差別感が漂う、南部ゴシックと言われる作品群

     と、いうことで、今日のトラウマ映画館は『愛すれど心さびしく』という凄いタイトルの映画なんですけれども、これは先程も言いましたが原題が、『THE HEART IS A LONELY HUNTER』、『心は孤独な狩人』っていうですね・・・・。

     

     『狩人』って言っても、この間解散した、兄弟の演歌歌手じゃないですけども。昔、望月あきらが少年チャンピオンに連載してた、復讐する必殺仕置人みたいなマンガでも無いんですけども。

     これ、『心は孤独な狩人』っていうのは、編集者が原作の出版をする時に勝手につけたタイトル(笑)ということで、著者の方は(何だコレ?)と思ってたらしいんですけども。結構、意味が無いんですけどカッコイイですね。・・・で、映画を観ても、『心は孤独な狩人』ってのはどういう意味なのか、っていうのはよく分からない、っていう。

     なんか、雑誌かなんかチラチラ見てて、そのロンリーハンターって言葉を編集者がたまたま見て、
    「コレがいいから。この小説のタイトルにしようよ。」
    って勝手に決めちゃった、という・・ま、酷い話なんですけども。

     原作者っていうのは、カーソン・マッカラーズという女性なんですね。この人はいわゆる「南部ゴシック」って言われるような作品を書いていたアメリカの作家です。南部出身じゃ無いんですけども、はい。

     「南部ゴシック」っていうのは、1番有名な作家は、フォークナーですね、ウィリアム・フォークナー。この人の書いた小説で『サンクチュアリ』(Sanctuary)っていう小説は、あの『悪魔のいけにえ』(The Texas Chain Saw Massacre)の、多分、元になってるんですよ。

     それは、金持ちの学生と恋人の女学生が、たまたま交通事故を起こして、南部の田舎の、密造酒を作ってる家族に捕まっちゃうんです。そうしたら、その密造酒を作ってる家族ってのが、変態なんですよ。

     その1番兄貴っていうのは性的不能者なんですけれども、その女を犯そうとして、えー・・・トウモロコシの食べた後の、軸、ってありますよね、「穂軸」って言うんですか?あれを突っ込んで犯すんで、女の子も可怪しくなっちゃって、もう、メチャクチャな話なんですけども。

     そういう、なんていうか、南部には、トンデモナイ、いわゆる「レッドネック(Redneck)」とか「ホワイトトラッシュ」(White Trash)とか、そういうまあ、モノスゴイ人達がいて。白人なんだけれども原始人レベルに退化してて残虐な人食人種みたいになってる、っていう、トンデモナイ差別的な(笑)、それこそさっき言ったみたいに差別的な話が、その『サンクチュアリ』からどんどん生まれていったんですね。

     ここからインスパイアされて、いろんな物が生まれてって。例えばあの有名なジョン・ブアマン監督が作った『脱出』(Deliverance)って映画はですね、南部の山の奥の方に、都会から来た若者達、サラリーマン達がカヌーで遊んでると、南部のヒルビリーっていう、まああの・・・原始人レベルに退化した白人達に捕まって、男なんですけど皆強姦されてしまう(笑)という・・・。で、そこからサバイバルアクションが始まるんですけど、これ、『アポカリプト』(Apocalypto)そっくりな話ですね(笑)。『アポカリプト』みたいな展開になってくるんですけども。

     ま、そういうような映画が作られて。『悪魔のいけにえ』も、その南部の、テキサスのとんでもない田舎に行くと、変態家族がいて、人肉を喰って暮らしてる、っていう・・・。まあ、酷いですね。差別的ですね。まったく、ユルセマセンネ。ハイ。

     ・・・ていうような、映画の元になったのがウィリアム・フォークナーの『サンクチュアリ』なんですけれども。

     まあ、あと、南部出身だとトルーマン・カポーティっていう作家がそうですね。それとか、やっぱり南部の、ちょっと戯曲になるんですけども、テネシー・ウィリアムズ、ですね。

     南部っていうのはどういうとこか、って言うと、実は私は行ったことはありません!ハイ。テキサスは行ったことはあるんですけど、テキサスはちょっと雰囲気が違って、南部っていうか西部に近いんです。

     まあ、非常にその・・ヨーロッパ的な、キリスト教的ないわゆる「バイブル・ベルト」(Bible belt)ですから、モラルが厳しくて男尊女卑が続いてるんですけども、その一方で黒人を奴隷の様に扱ってる、という、非常に歪んだ、表向きは非常にその・・・紳士淑女が礼儀正しく生きてる、と。ま、『風と共に去りぬ』(Gone With the Wind)が典型的ですよね。貴族みたいな生活をしてるんだけども、実はそれは、黒人に対する酷い差別と、奴隷制度によって成り立ってる、と。

     「南部ゴシック」って言われてるのは、「ゴシック」ってのは元々ロンドンで起こった、ビクトリア朝時代に起こった、怪奇小説とかですね、ま、『嵐が丘』(Wuthering Heights)が1番典型的ですけども。こう、おどろおどろしいラブロマンスみたいなものですね。『フランケンシュタイン』(Frankenstein)とかですね。そういった物が、その、何故か南部で、20世紀になって蘇った、と。まあ、そういった物が、このカーソン・マッカラーズっていう作家がジャンル分けされてるとこなんです。

    アラン・アーキン演じる聾唖の主人公

     話をまず先に言いますと。南部の、ある田舎町に、1人の男が引っ越して来るんです。彼を演じてるのはアラン・アーキンという俳優さんで、この人は、この間、アカデミー賞を獲りましたね。アカデミー助演男優賞を、『リトル・ミス・サンシャイン』(Little Miss Sunshine)で獲った人です。あの、おじいさんですね。なんていうか、酔っぱらい(笑)で、コカインとかヘロインとかやってて、でもってエロ本ばっか読んでて、
     「若い子にアドバイスを。」
    って言うと、
    「いや~、若い内はセックスしとけよ!」
    って言ってるというですね(笑)。で、エロ本を、ゲイのスティーブ・カレルに買いに行かせるんですね。
    「お前、ちょとエロ本買ってこい!」
    って、パシリやらせてるんですね、いい大人なのに。
    「お前ちょっと、オレのためにエロ本買ってこい!」
    「どんなエロ本がいいんですか?」
    「できるだけ、スゲー、ヤラシイやつだよ!」
    っていうね、そういう、なかなかイイ味出したおじいさんの役をアラン・アーキンがやってて、大爆笑だったんですけども。

     彼は実は、この『愛すれど心さびしく』っていう、1968年の映画でアカデミー主演男優賞候補にノミネートされてるんですね。それぐらい、この映画のアラン・アーキンが非常に素晴らしい演技なんですが。

     どうして素晴らしいか、って言うとで、まずこの人、聾唖(ろうあ)の役なんですね。つまり耳が聞こえなくて口が訊けないんですよ。そういう青年なんです。ま、青年時代ですよ(笑)、1968年ですから。それが、南部の田舎町にやって来る、と。

     それで、ある家に、下宿するんですね。下宿すると、下宿先に高校生の娘がいるんです。でもって・・要するに、アラン・アーキンは喋れないですから、
    「ア・・ア、ア・・・」
    みたいな感じで。それを見てですね、ま、高校生ですから、バカですから、
    「なんか、知恵遅れみたいなのが来たよ!」
    とか言うんですよ。酷い話でね(笑)・・・。で、
    「そうじゃないわよ!」
    ってお父さんとお母さんが怒ってですね、
    「彼は単に口が訊けないだけでしょ!」
    つって・・・でも、この女子高生は、
    「なんだかもう・・・気持ち悪いわ、あんな変なのが来て・・・片輪者が来て・・・」
    とか、言うんですね。物凄い差別するんです。

     この映画、僕はですね、むか~し、昔、テレビで観たんですよ。で、今考えるとですね、これテレビで、日本ではもう、放送出来ないですねえ。というのは、それこそ「つんぼ」とか「おし」とか、そういう言葉がバンバン出てくるわけですよ。「知恵遅れ」とか・・・。

     で、僕が観た頃は、そういうのが全然、
    「ピー!」
    って入ってたりしなかった・・っていうか、まあ、テレビで放送してたわけですから。小学校の低学年だったんですけれども。

     ま、いつも話してるんですけど、僕は、家で遊ぶときには、テレビをつけっぱなしにして、遊ぶんですね。雨の日は家で遊ぶじゃないですか。その時テレビをつけっぱなしにして、こっちでプラモデルを作ったり(笑)ですね、してるんですけど、その時に映ってたのが、この映画なんですね。

     このアラン・アーキンには1人だけ、その同じような聾唖の友達がいてですね、互いに手話で話せるんですけれども。その聾唖の友達の方は知恵遅れなんですね。凄く太った、大男なんですけれども、知恵遅れで、お菓子屋さんのショーウインドーを見てお菓子が食べたくなって、ガラスを割ってお菓子を、手を突っ込んで食べちゃうような男でですね、彼が、その保護者の役をやってるんです。で、後見人をやってるんですけども、精神病院にその知恵遅れの大男は入れられちゃうんですね。

     でまあ、彼がいなくなったんで、手話で話せる相手がいなくなって寂しい、っていう感じで。それでもって、彼が入った精神病院の近くに引っ越そう、つって、その南部の・・・町に引っ越して来たんですね。

    ヒロイン、ソンドラ・ロックの華麗なデビューと、イーストウッドに捧げた寂しい晩年

     その・・女子高生は、ソンドラ・ロックという女優さんが演じてます。この人は1970年代の映画ファンだったら誰でも知ってるんですけど、この人、クリント・イーストウッドの愛人だった人です。

     クリント・イーストウッドがソンドラ・ロックに会った時は、まだソンドラ・ロックは少女だったらしいですけども、その時にもう、イーストウッドは惚れてるんです。えー、トンデモナイオヤジなんですけど、年が20ぐらい離れてるんですけどね。

     『愛のそよ風』(Breezy)っていう映画をイーストウッドが作りまして、それは中年オヤジが、20ぐらい年の離れてるヒッピーの女の子と恋に落ちて、セックスまでするという、1970年代初めですから、当時としては非常に過激な映画で、それを何故かイーストウッドが映画化したんですね。これも非常に奇妙な話で(笑)、イーストウッドはやっぱりちょっとねえ、ロリコンの気があったんですよ、その当時は。

     で、そのオーディションを受けたのがソンドラ・ロックだったんです。ま、その時はイーストウッドは、違う女優さんにその役を振ったんですけども。その後、ソンドラ・ロックとイーストウッドは仲良くなりまして、イーストウッドは奥さんがいましたが、ソンドラ・ロックと同居するようになったんですね。

     で・・もう・・ずっと、いっぱい映画を撮りましたね。『アウトロー』(The Outlaw Josey Wales)、『ダーティ・ハリー4』(Sudden Impact)とか、『ブロンコビリー』(Bronco Billy)とか・・・いっぱいソンドラ・ロックと2人で映画を撮ったわけです。

     その後ソンドラ・ロックは、世間からはイーストウッドの愛人としてしか見られなくて、女優さんとしては素晴らしかったのに、もう誰からも相手にされないんですね。
    「アイツはイーストウッドと寝てるから仕事をもらったんだよ。」
    と。・・で、まあ、年取ってきてイーストウッドに捨てられちゃうんですけども、その時にイーストウッドが、将来困らないように、ワーナー・ブラザースで彼女が映画を撮れるように、ってなことで手筈を整えてたんですけれども、ま、それも上手くいかなくて、結局ソンドラ・ロックは捨てられちゃって、路頭に迷うという状況になりましたね。

     その時は、乳がんで、乳房の切除手術を受けて、年も取ってて、イーストウッドの囲われだと思われてたんで、仕事も無い、と。で、もう、どうしようもないドン底になって、暴露本を書くんですね。
    「イーストウッドとは酷い人だった。」
    と。まあ、ある日突然私を捨てた、と。
    「ある日突然、家の前に行ってみたら、私の荷物が全部、家の前に置いてあった。」
    とかねえ、スゴイことが書かれてる本でね。その本を読むと、結構イーストウッドって人は(そんなに良い人じゃねーな、オイ)っていう(笑)、「いいひとウッド」じゃねーな、っていう感じでですね、えー・・・、ちょっとショッキングな本を書いて・・・暴露本を書いてますけど。ま、彼女も可哀想で、何もかも失ってしまいましたからね。

     で、このソンドラ・ロックって人は実は、この『愛すれど心さびしく』って映画で実質的にデビューをするんですけども、高校生の少女を演じてるんですけども、これで、物凄い評価されたんですよ。先程、アラン・アーキンがアカデミー主演男優賞にノミネートされた、って言いましたけど、ソンドラ・ロックもこの時にアカデミー助演女優賞にノミネートされてるんですね。Wノミネートされてるぐらい、この映画は、まあ、演技が凄い映画なんですね。

     ソンドラ・ロックはこの時、21才なんですけど、どう見てもその・・・ま、貧相な貧乏な、女子高生にしか見えないんですよ。鏡の前ででお母さんの化粧品を顔につけて、ちょっとオッパイを見たりするシーンがあるんですね。
    「オッパイ、ぺったんこだわ・・・。」
    とか言って、
    「私、まだ子供なのね・・・。」
    って言うシーンがあるんですけど、(テメー、21才だろ!その時・・・。)っていう(笑)。でもどう見ても女子高生に、思春期の女子高生にしか見えない、っていうとこでアカデミー候補になってるわけです。

    孤独故に他人に優しく

     で、このソンドラ・ロックは、この家がすごい貧乏なんですよ。それで、下宿屋をやってるのも、収入が無いからなんですね。お父さんが仕事の最中に怪我して、腰から下が下半身不随になっちゃって、車椅子で、もう、仕事が無いんですよ。

     ところがこの、ソンドラ・ロックは、音楽が好きなんですね。近所からピアノの音が聞こえてくるんで、それをもう、思わず聞き惚れて、その前で立ち止まって聞いてしまうんですね。そこは実は、金持ちの・・近所の金持ちお嬢さんの家で、金持ちお嬢さんがピアノを弾いてたんですよ。

     で、見つかっちゃって、
    「アンタ何してんの?!」
    って言われて
    「いや、ちょっと・・・・音楽が聞こえてたから・・・。いい音楽ね。」
    って言うと、
    「モーツァルトよ。知らないの?!」
    って言うんですよ。

     ここはスゴイ、良いシーンで、彼女はクラシック音楽とか、モーツァルトっていうものを全く知らないんですね。でも、モーツァルトの曲を聞いて、
    「あっ・・・。」
    と聞き惚れてしまう、という、それぐらい素晴らしい音楽的感性を持ってる、っていうことを表現してるシーンなんですよ。

     実はこれは、カーソン・マッカラーズっていう原作者がピアノを好きで、音楽の道に進みたかった、っていうことがありまして、それを、彼女自身を反映したキャラクターなんですね、このソンドラ・ロックは。

     (いつかピアノを学びたい)、(ピアノを勉強して音楽の道に進みたい)と思ってるんですけど、お金が無くてレコードすらも買えないんですよ。で、近くの・・・ま、市民ホールでクラシックのコンサートがあって、それもわざわざ行って、非常口の所に座って、ずっと聴くんですね。クラシックの生演奏を聴いたことが無いんで。ホントに好きなんですよ。

     それを見て、アラン・アーキン扮する聾唖の青年はレコードを買ってくるんですね。自分では音楽は聴けないのに、聴こえないのに、クラシックのレコードを買ってきて、それをかけるんです。するとソンドラ・ロックが、
    「わ、この曲は私の好きなモーツァルトだわ・・・。」
    って言って、で・・・聴くんだけども。

     アラン・アーキンはあまりにも孤独なんで、孤独な人とか困ってる人がいると、何かしてあげようとするんですね。別にそれは、善意っていうよりは、寂しいからかまって欲しいんですよ。

     あと、町の酔っぱらいがいまして、これステイシー・キーチがやってるんですけども。実は彼は戦争から帰って来たんですけれども、全く仕事が無くて飲んだくれてるんですよ。
    「誰もオレの話を聞いてくれねーよー!」
    とか言って暴れてるんですけども。

     するとアラン・アーキンは、聞いてあげるんですよ。
    「ふんふん、ふんふん・・・。」
    て。でも実は聞いて無いんですよ。聞こえてないですから、耳が悪くて。口の動きは読めるんですけども、ゆっくり、相手が喋らないとわからないんですね。

     で、この酔っぱらいがもう、べらべらべらべら、
    「・・・って、オレは大変でさあ、・・・」
    とか、バーっと喋ってんですけども、
    「うん、うん、うん。」
    て、ニコニコしながら頷き続けるんですよ。すると相手は、
    「お前はホントに聞き上手だなあ!」
    「オレの話なんか誰も聞いてくれない、オレの話をこんなに一生懸命聞いてくれたのは、オマエだけだよ!!」
    って言ってくれるんですねえ。これは悲しいシーンですねえ。

    コミニケーションのすれ違いから起こる不幸

     この映画は、コミニケーションていうものが、いかに絶望的なのか。ホントは人間ていうのは、自分の聞きたい話ししか聞かないし、自分の言いたいことしか言わないんだ、っていうことを、非常に冷酷に示してるんですねえ。「サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)」の歌に『サウンド・オブ・サイレンス』(The Sound of Silence)ってありますけども、
    「人は、聞くこと無く聞き、話すこと無く語る」
    (People talking without speaking.People hearing without listening.)
    みたいな歌詞があって、
    (人は互いに会話をしてるようでいて、他人の話を聞いてない)
    っていうようなことなんですけども。

     アナーキンの方も、一生懸命、ふんふん、て首を頷いてれば、
    (この人は僕と友達になってくれるんだ)
    という風に思って一生懸命頷くんですね。相手のことが、何を言ってるかわかんなくても。

     で、そのステイシー・キーチが酔っ払って、怪我してるところを、誰か助けてやってくれ、って言うんだけど、誰も助けないんですけど。すると、たまたま、お医者さんのカバンを持った、黒人の老人が通りかかるんですよ。
    「彼を助けてやってください。」
    って言うんですけども、字に書いてですね、アナーキンが。すると、
    「私は白人は診ないよ。」
    って言われて拒否されるんですけども、
    「お願いします!」
    つって、診てもらうんですね、その黒人のお医者さんに。

     黒人のお医者さんは、黒人専門のお医者さんなんですね。これは、南部ですから。それで1968年ていう時代はですね、マーチン・ルーサー・キングジュニア牧師がですね、黒人と白人の平等を訴えてて戦って、暗殺された、っていう年なんですね。この頃、南部はですね、「人種隔離政策」っていうのをとってましたから・・・、黒人と白人は違う人間なんで、何にも一緒に出来ない、と。医者も全部別、と。トイレも別で水飲み場も別、と。ベンチも別で、公園の。バスの席も別、っていう、アパルトヘイトが行われてた時代なんですけども。黒人の医者はですね、白人の患者の身体に触ってもいけなかったんですね。汚らわしいものだ、っていう風に思われてたんで。

     ただその、アラン・アーキンはですね、自分が聾唖で、もうすでに差別されてるから、別に、黒人の人に対しても全然偏見が無いわけなんですけれども。

     で、この黒人のお医者さんは、娘がいて、娘をなんとか自分みたいなインテリに育てて医者にしよう、と思ってたんですけども、その娘は、近所の字も読めない無学な青年と結婚しちゃったんですね。でもって、その無学で大人しい青年のことを、この医者の老人は、
    「お前はアンクル・トムだ!」
    って言うんですね。

     つまり、『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom's Cabin)に出てくるように、ただ従順なだけの、社会に対して戦おうとしない、勉強して、なんとか、白人達と対等に戦おうとしない、ダメな黒人だ、つって、
    「アンクル・トムだ!!」
    って言うんですね。娘はそんな父親が嫌いでですね。もう全然上手くいってないんです。

     ま、こういった形で、南部の1つの町で、いろんな不幸が次々と出てくるんですよ。で、さっき言ったみたいに、主人公のアラン・アーキンは聾唖で、しかも友達は聾唖で知恵遅れですからね。・・・そういう、スゴイ世界なんですけども。特にまあ、その・・・そういった物がソンドラ・ロック扮する女子高生の目から見られていく、と。

    ※注意!※→まだ本編を観ていない方用解説【ネタバレ少】はこちらへ

    既に本編を観た、あるいは(気にしないよ~)という方は、そのまま以下を御覧ください。

    既に本編を観た方用解説【ネタバレ有】

     彼女はですね、なんとかその、近所の金持ちのお嬢さんみたいな生活がしたくてですね、で・・・ま、パーティがやりたい、って言うんですね。16歳になったらですね、南部の御令嬢達はパーティを行うんですよ。これは日本には無い習慣なんですけど、16歳になると結婚が出来る齢なんで、いわゆるその、お見合いみたいな意味で、パーティを開いてお披露目をするんですね。ドレスを着せてね。ま、『風と共に去りぬ』に出てきましたけども、それを、
    「私もやりたいわ。」
    と。
    「でも、うち、お金が無いから、どうしよう・・」
    って言って。でも一生懸命、そのお父さんがですね、
    「お前には苦労をさせたく無いんだ。」
    「他の子とおんなじようにしたいんだ。」
    つって、一生懸命、パーティを開いてあげたりするとことか、結構泣かせるんですけども。

     ソンドラ・ロックの悩みを黙って聞いてくれるのも、アラン・アーキンなんです。多分、このアラン・アーキン扮する、聾唖で人の言うことを何でも聞いてあげる青年、ていうのは『フォレスト・ガンプ』(Forrest Gump)のトム・ハンクスに非常に影響を与えてると思います。ファッションが殆どおんなじなんですよ。あの、つんつるてんのですね、スーツをいつも着てですね、髪型もあんな感じでですね、それでいつもニコニコと他の人の話を聞く、という、キャラクターなんですね。

     で、他の人はアラン・アーキンが、途中で、耳が聞こえてないんだ、ってことがわかるんですけども、それとお構いなしに自分の悩みとか全部打ち明けて話していくわけですよ。そうするとスッキリするわけですね。鏡みたいな物になってるんですね。さっきのお医者さんは、自分がガンだ、ってことまで言っちゃうんですね、アラン・アーキンに。

     さっきのステイシー・キーチ扮する酔っぱらいはですね、アラン・アーキンに慰められたことで、立ち直る決心をして、町の遊園地のメリーゴーラウンドの係をやり始めるんですね。そのメリーゴーラウンドに、さっき言った、黒人のお医者さんの娘夫婦が来るんですよ。

     前にいた白人の若者がで、メリーゴーラウンドが動いた拍子に女の子がコケちゃうんですね。転んじゃうんです。で、
    「おっと、危ない!お嬢さん!」
    つって、その、お医者さんの娘の旦那の黒人の青年が、転んだ女の人を受け止めてあげるんですよ。それを見て白人の連れの方が怒り狂いまして、
    「お前、黒人のくせに、白人のオレの彼女に触りやがって!!」
    つって、ナイフで刺そうとするんですねえ。

     で、思わずその、パッとナイフを取って逆襲して刺し返しちゃうんですよ。ま、怪我させるだけで殺さないんですけれども。で、警察に逮捕されるんですけども、娘が、
    「彼を助けるために、裁判で証言して!」
    「偽証して!」
    っていうようなことを言うんですね。そうするともう、黒人のそのお医者さんはですね、物凄くプライドが高いんで、
    「偽証なんか、オレは絶体しない!」
    って言ってですね、助けないんですよ。

     そうしたら、そのうちにその、保安官達とか若者達がですね、ま、白人なんで、黒人の彼を、リンチしてですね、片足を切断しちゃうんですね。

     さすがにその時に、娘がもう、怒り狂って、
    「お父さん、アンタのせいよ!」
    って言うと、そのお父さんがですね、裁判所に行って、
    「こんな酷い事件があったのに、なんで警察は動かないんだ!!」
    って、言いに行くんですけども、
    「黒人が何しにきたんだよ?アンクル・トム!」
    とか言って相手にされないんですよ。

     黒人だったらもう、殺しても平気、っていう時代だったんですよ、その当時は。実際にいくつも事件があって、『ゴースト・オブ・ミシシッピー』(Ghosts of Mississippi)とか映画になってますけれども。保安官が自ら、黒人を、気に食わない、つってガンガン殺してた時代ですからねえ(笑)。

     で、さっきのステイシー・キーチ扮するメリーゴーラウンド係もですね、この事件に巻き込まれて、もうこの町にはいられない、つって、失意の内に去って行くんですよ。もう、みんな不幸になるんですねえ。

     僕はこれを、子供の頃にですねえ、おもちゃかなんかで遊びながら、観てたんですけれども。やっぱり、テレビアニメとか、その当時観てましたよねえ。で、良い事をしてる人とかは、いつかは幸せになれる、とか思ってるわけですけども、もう、何にも良い事が起こらないんですよ。みんな一生懸命、生きてるんですけれども酷い目に合って、片足まで切断されちゃうわですね、もう・・・悪い奴が人を殺しても平気、って・・・。

     僕はこの映画で、確か初めてですね、黒人差別っていうものを、実際にドラマの中で見たんですね。何処まで酷いことが平気で行われるか、ってことをですね。・・で、ま、ビックリしまして・・・。

     で、まあ、ソンドラ・ロックの話に戻ると、お父さんが、もう収入が無い、ってことで、学校を辞めろ、って言われるんですね。
    「え?私、音楽学校に行きたかったのに・・・」
    「そんな金は、家には無い!お前は働くんだ!」
    それでまあ、あの・・・お母さんに泣きつくわけですよ。
    「なんとかならないの?」
    って言うと、
    「1つしか方法は無い」
    と。誰かいい男を捕まえて、それの嫁さんになるんだ、と。
    「それしか無いわよ、アンタには!」
    って言うんですね。これ、南部ですねえ。つまり、女の人が働く、ってのは在り得ないんだ、というのが、当時の南部の男尊女卑なんですけれども。

     でまあ、近所にですね、ちょっと好きな、ちょっとお金持ちの坊ちゃんがいたんですね。その彼とデートに行くわけですよ。近くの川に泳ぎに行くんですけれども。
    「もう私、この夏はホントにいっぱい、いろんなことがあったわ。」
    「もう、大人になった気がするわ。」
    っていうふうなことを言うと、まあ、その・・・・高校生のですね、ボーイフレンドの方はもう、ギンギンになりましてですね(笑)、まあ、ヤッちゃうんですけれども、ソンドラ・ロックをですね、ハイ。

     で、アラン・アーキンの方はですね、医者の娘と、お父さんがケンカしてるのが困っちゃうんですね。で、娘になんとか、その、
    (アンタのお父さんはガンなんだから、もうすぐ死んじゃうんだから、そんなに冷たくしないでやってくれ)
    って言いに行くんですけれども、口が訊けないから言えないんですね。

     それで、ドアをガンガン叩いて、
    (話させてくれ、こうなんだ、アンタのお父さんはガンなんだよ!)
    って言おうとするんですけれども、もう、襲いかかりに来たんだと思っちゃうんですね、その娘の方は。で、
    「助けてー!」
    とか言うんですけども、で、思わず、
    (そうじゃないんだ!)
    つって腕を掴むと、
    「やめてー!!」
    って言われるんですねえ。

     これも怖かったですねえ。もし僕が口が訊けなくなったら、皆、話しなんか聞いてくれないんだ、と。
    (話を聞いてくれ!)
    って一生懸命言っても、皆、自分が襲われる、と思うだけなんだ、と。口訊かないで、
    「アウアウアウ・・・」
    しか言えないわけですから。

     ソンドラ・ロックともそういうシーンがあって、
    (話を聞いて欲しいんだ)
    って言っても、
    「アウアウ・・・」
    しか言えないんで、怯えて逃げちゃうんですよ。それも怖くてねえ・・・

     それで、ソンドラ・ロックに弟がいてですね、ちょっと囃し立てるんですよ。2人が仲いい、アラン・アーキンと仲が良いんで、
    「うちのお姉ちゃんは、あの唖(おし)が好きなんだ!」
    とか言うんですよ。そうするとソンドラ・ロックは、
    「あんな・・・私が唖なんか好きになるわけ無いじゃないの!」
    っていうようなことを言うんですけども、それもちょっと残酷でねえ・・・。

     で、こういうドラマは、日本でテレビで放送できないような状況になってるんですけども、これを放送することで、そういった障害を持ってる人達・・・に対する差別っていうものが凄くイヤでですね、当事者の気持ちになったら、ホントに酷いものなんだ、ってことが、子供心にわかったんですよね、僕はね。だから・・・効果があったんですよ。だから、こういうのは放送するべきなんですよね。

     それでですね、結局アラン・アーキンは、大事にしてたたった1人の、唖で知恵遅れの、その友達も死んでしまってですね、まあ、絶望して自殺しちゃうんですけども。

     で、ソンドラ・ロックの方は、その高校生の金持ちのボンボンに、身体を捧げたんですけれども、した後すぐにですね、その男の子の方は、
    「ゴメンゴメン!悪かった!」
    「謝るよ」
    つって、
    「無かったことにしてくれ!」
    って言うんですよ。
    ・・・とんでもないですよね。せっかく・・・ヤラせてやったのに。

     それでもうホントに、は~・・って、こう、失望してですね、幻滅して、
    「もういいわよ。私、もう結婚なんかしないわ・・・。」
    って言うんですよ。

     唯一、彼女のことを、話を聞いてくれたアラン・アーキンも死んでしまった、と。で・・最後にお墓でですね、さっきの黒人のお医者さんと出会うんですね。で、2人でですね、
    「よく考えたら、私達は何でもあの人(アラン・アーキンの唖の人)に、何でも話してきたけども、私は、私達は、彼の気持ちを聞こうとしなかったわ!一度も!」
    ・・・って気付くんですね。それで映画が終わるんですよ。

     ・・・もう、ホントにコミニケーションていうものの、出来なさ。人間同士のわかり合えなさ、みたいな物を、もう・・叩きつけるような映画でね。

    続きはこちら

    まだ本編を観ていない方用解説【ネタバレ少】

     ソンドラ・ロックの悩みを黙って聞いてくれるのも、アラン・アーキンなんです。多分、このアラン・アーキン扮する、聾唖で人の言うことを何でも聞いてあげる青年、ていうのは『フォレスト・ガンプ』(Forrest Gump)のトム・ハンクスに非常に影響を与えてると思います。ファッションが殆どおんなじなんですよ。あの、つんつるてんのですね、スーツをいつも着てですね、髪型もあんな感じでですね、それでいつもニコニコと他の人の話を聞く、という、キャラクターなんですね。

     で、他の人はアラン・アーキンが、途中で、耳が聞こえてないんだ、ってことがわかるんですけども、それとお構いなしに自分の悩みとか全部打ち明けて話していくわけですよ。そうするとスッキリするわけですね。鏡みたいな物になってるんですね。さっきのお医者さんは、自分がガンだ、ってことまで言っちゃうんですね、アラン・アーキンに。

     僕はこれを、子供の頃に、おもちゃかなんかで遊びながら観てたんですけれども。やっぱり、テレビアニメとかその当時観てましたよねえ。で、良い事をしてる人とかは、いつかは幸せになれる、とか思ってるわけですけども、もう、何にも良い事が起こらないんですよ。みんな一生懸命、生きてるんですけれども酷い目に合って、・・・。

     僕はこの映画で、確か初めてですね、黒人差別っていうものを、実際にドラマの中で見たんですね。何処まで酷いことが平気で行われるか、ってことをですね。・・で、ま、ビックリしまして・・・。

     で、アラン・アーキンはですね、医者の娘と、お父さんがケンカしてるのが困っちゃうんですね。で、娘になんとか、その、
    (アンタのお父さんはガンなんだから、もうすぐ死んじゃうんだから、そんなに冷たくしないでやってくれ)
    って言いに行くんですけれども、口が訊けないから言えないんですね。

     それで、ドアをガンガン叩いて、
    (話させてくれ、こうなんだ、アンタのお父さんはガンなんだよ!)
    って言おうとするんですけれども、もう、襲いかかりに来たんだと思っちゃうんですね、その娘の方は。で、
    「助けてー!」
    とか言うんですけども、で、思わず、
    (そうじゃないんだ!)
    つって腕を掴むと、
    「やめてー!!」
    って言われるんですねえ。

     これも怖かったですねえ。もし僕が口が訊けなくなったら、皆、話しなんか聞いてくれないんだ、と。
    (話を聞いてくれ!)
    って一生懸命言っても、皆、自分が襲われる、と思うだけなんだ、と。口訊かないで、
    「アウアウアウ・・・」
    しか言えないわけですから。

     で、こういうドラマは、日本でテレビで放送できないような状況になってるんですけども、これを放送することで、そういった障害を持ってる人達・・・に対する差別っていうものが凄くイヤでですね、当事者の気持ちになったら、ホントに酷いものなんだ、ってことが、子供心にわかったんですよね、僕はね。だから・・・効果があったんですよ。だから、こういうのは放送するべきなんですよね。

     ・・・もう、ホントにコミニケーションていうものの、出来なさ。人間同士のわかり合えなさ、みたいな物を、もう・・叩きつけるような映画でね。

    ~Resolution~
    原作者自身の孤独

     まあこの、カーソン・マッカラーズっていう原作者は、やっぱりその、
    「わかってもらえない。人間は皆、孤独なんだ。」
    っていう所で小説をずっと書いてて、他の小説も、『悲しい酒場の唄』(The Ballad of the Sad Cafe)、『バラッド』とかですね・・・『金色の目にうつるもの』(Reflection in a Golden Eye)っていう小説を書いてるんですけど、それももう、全然わかり合えない、人間同士、全然わかり合えないんだ、っていうことを徹底的に追求していく小説ですね。

     実は、この人自身は、カーソン・マッカラーズ自身はバイセクシュアルだったんですけれども、バイセクシュアルの旦那さんと結婚するんですよ。バイセクシュアル同士じゃないとわかり合えない、と思ったのかも知れないんですけども。ところがやっぱり、上手くいかなくて、この旦那さんは自殺しちゃってるんですね。・・・それもその・・・奥さんの目の前かなんかでですね。まあ、これも怖い・・・ですよねえ・・。

     それで、この2人はですね、1回結婚して、その後上手くいかないんで離婚して、その後もまた、結婚したんですね。つまり、これだけ孤独な魂を抱えた者同士は他に見つけることが出来ない、と。
    「私達はお互いに、お互い同士じゃないと、孤独さを癒せないのよ。」
    ってことで、もう1回結婚するんですけれども、やっぱりダメで・・・旦那さんは自殺する、っていうですね・・・。もう、ホントに絶望的な私生活だったんですけれども。

     まあ、これを観た時に思ったのはですね、
    (人間てのは、最後の最後まで、どんなに誠意を尽くしてもわかり合えないことがあるんだ)
    っていうのを・・・ま、怖かったですねえ・・・。

     ということで、今日は「トラウマ映画館」、『恋すれど心さびしく』、『THE HEART IS A LONELY HUNTER』っていう映画についてお話しました。みなさんも、何か子供の頃に観てですね、忘れられない映画とかありましたら、メールを送っていただきたい、と。

     ではまた、2週間後に、会いましょう!

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